blow,2

 成宮さんも調子がいいときは、僕と二人でデートのようなことをしたり、朝から散歩したんだと報告してくれたりした。僕のためにお弁当を作ってくれたこともあったし、頭のてっぺんからつま先まで全部、あんなふうに刺々しいわけじゃない。

 素直に笑って、くだらないことを言って、そういう日を一日でも多く過ごしたい。ただ僕は成宮さんと穏やかに過ごしたいだけ。そうできるなら何だって手伝ってあげたい。ご飯だって用意するし髪だって毎日乾かしてあげる。朝も起こすし夜は寝かしつけてあげたい。

 なんだってするつもりなのに、求められればそうするつもりなのに、成宮さんが手首を切ったり自殺を試みるのは変わらなかった。愛が足りないのかもとか接し方が悪いのかもとか、色々考えた。僕なりに努力したつもりだ。

 成宮さんはもちろん精神科に通っていて、薬ももらっている。しかしどんどん悪化しているように見えた。

 午前2時前、寝ていた僕を電話の呼び出し音が起こす。成宮さんだと思うと心臓が跳ねた。今度は何の用事だろうか。

 一瞬無視して眠ってしまおうかとも思った。繰り返される呼び出し音に負け、応答する。

「はい……成宮さん?」

「こうた、……ぅ」

「え……なに、どうしたんですか?」

「こわい夢みた、怖い」

「夢……? どんなの……」

 それきり泣きじゃくって話にならないので、僕は寝そうになりながらも落ち着くまで「大丈夫」「夢だよ」と言い続けて成宮さんが眠るのを待った。

 仕事に行っても寝不足のせいかミスを連発し、会社にも居づらい空気を感じ始めていた。キャパシティを大きく超えているのは薄々気づいていたが、成宮さんと関わるのをやめたら、成宮さんがもしも死んじゃったら、僕は何のために動けばいいのかわからない。前は何か別のもののために動いていたはずなのに、今は音楽を聴く元気すら無くなっていた。

 カフェインで無理やり動かす身体にもガタが来ている。

「先輩、なんか顔色悪いですよ」

「え?」

 話しかけてきたのは後輩の女の子だった。手には栄養ドリンクを持っている。

「なんかお休みも連発してますよね。風邪とか?」

「いや、まあそんなとこ」

「はいどうぞ。先輩やさしいし、教え方上手だし、もっと色々指導してほしいので!」

「あ……ありがとう、こんな……ごめんね」

「謝らないでいいですって! ほら、午後もがんばりましょ!」

 なんとか笑って返して、それからタイミングを見計らってトイレに逃げ込んだ。

 自分がどうして泣いているのか分からない。それでも涙が止まらなくて、声を押し殺して泣き続けた。

 

 

 仕事が終わると成宮さんの世話をしなければならないので、残業してから帰ることが増えた。もちろんそれだけが理由ではない。休みがちだから仕事が溜まるのだ。

 なんで僕ばっかりこんな気持ちにならないといけないんだろう。なんで僕が? そんなことを考えることが増えている。

 今日も仕事が終わり、携帯を確認するとぞっとする量の着信が来ていた。

 深呼吸して、電話をかけなおす。

「……もしもし、成宮さん?」

「あ、こうた? いっぱい電話かけちゃってごめんね。仕事終わる時間なのに繋がらないから心配になっちゃって……」

「ちょっと残業してて……どうしたんですか?」

「いいもの見せたいんだ、今から来て?」

「いいものって?」

「来てのお楽しみ! いいから来てね」

「ああ……はい」

 いいものってなんだろう。ものすごく高い壺とか、パワーストーンとか、そういうものだったらどうしよう。

 上機嫌なのには理由があるはず。一抹の不安を抱えつつ成宮さんの家に向かうと、既に玄関の外でしゃがんで待っていた。

「おかえり、こうた」

 へら、と笑って僕の手を掴むと、家の中に招き入れる。

「えへへ……こうた喜ぶかなあ」

「僕が喜ぶようなもの?」

「んー分かんないけど」

 手を引かれて部屋の奥に連れていかれる。心臓がバクバクと鼓動した。

 少し汚いリビングの、中央に置かれたテーブル。その上にオリーブグリーンの美しい花瓶があり、中には一輪のダリアが挿されていた。

「……いいものって、これ?」

「うん、そう……花とか、飾ると良いって聞いたから」

 買ってみたんだけど、と成宮さんは不安そうな声を出した。

 拍子抜けして、本当に拍子抜けして、そして成宮さんのことを疑った自分のことがとても嫌になった。自分が情けなく汚く思えて、しかし変なものじゃなくてよかったと安堵して。

「……すごいよ、成宮さん……綺麗だね。素敵だと思う」

「ほ……ほんと? こうたも嬉しい?」

「ん、うん……本当に嬉しい」

「よかった……えへ、」

 嬉しそうに笑う成宮さんの頭を撫でて、優しくキスをした。仕事で疲れ切った身体のままでも、ここへ来てよかったと思える。

「他にも花、飾るんですか?」

「うん、枯れちゃったら新しいの買おうかなって」

「いいですね、次は何がいいかな」

 僕も買ってこよう、そしたら成宮さんも喜んでくれるはず。

 蜘蛛の巣のように張り付いていた嫌な気持ちが、徐々に晴れていくのを感じる。また土砂降りの雨が降るとしても、こうして晴れ間が見られるのなら。

「それでねこうた、ちょっとだけ甘えてもいい……?」

「何、どんなことですか?」

「次のこうたの休みの日、ずっと家にいてほしい」

「次の休み……明後日?」

「うん、家にいていちゃいちゃしたいの」

「……いいよ、泊まれるようにしておくね」

 僕の言葉に成宮さんは心の底から嬉しそうな顔をした。愛おしくてたまらなくなって、頬を撫でてキスをする。

 久しぶりに休日を楽しみに感じている自分がいた。