サマーブルーの花瓶に水は入っていない。そこに真っ赤な薔薇を挿してから、弁当箱の蓋を閉めた。
「成宮さん、お弁当ここに置いていきますよ」
「ん……おいといて」
ベッドから怠そうに出てきた成宮さんが、薔薇を見て目を細める。
「ふふ、薔薇だ。今日は薔薇なんだ」
「そろそろ一週間経つから替えようと思って」
「毎日見たら飽きちゃうしね。便利だねえ、造花の方がやっぱり良いね」
くあ、とあくびをして洗面所に消えていく成宮さんの背中を見ながら思う。僕のことも毎日見たら飽きるだろうか、とか。
「あ、夜用事あるから、こうたは家でゆっくりしてね」
「え……用事って? 今日は一緒に映画見るんじゃなかったの?」
「あれ? 今日だったっけ……ごめんね?」
「……」
会社に行く身支度を済ませて、もう僕は家を出ようとしているのに成宮さんはのんびりと歯を磨いている。
「成宮さん、遅れちゃう。早くしてくださいよ」
「ん~、んん」
僕がキスをもらわないと家を出ないと分かってる。だからこの人はわざとゆっくりしていると分かって苛立った。
「ねえ、成宮さん」
「……ん……分かってる、はい……いい子にちゅーあげようね」
頭を撫でてキスをくれる。唇が合わさって、舌を絡めるとさっきまでの苛立ちがどうでもよくなっていった。
用事なんてどうせ他の男と酒を飲んでくるだけのくだらない用事なのに、行かなくてもいいでしょとは言えない。キスしてくれなかったら、成宮さんに捨てられたら。
「行ってくるから、電話したらすぐ出てくださいね」
「はいはい、こうたってば甘えんぼさんなんだから」
くすくすと笑う成宮さんを見つめていると足が鉛のように重く感じた。それでも出勤しないといけない。身体を離して、家を出る。
「いってきます、」
「いってらっしゃい、こうた」
手をふりふりと振る、その左手首にはまた赤く血が滲んでいた。
好転なんかしようがない。この道に救いなんかない。でも歩いたそばから崩れ落ちていくから、進んでいくしか選べない。
あの日、純真な善意で、あるいはただの性欲で、成宮さんと縁を結んだことだけが僕の人生の後悔だ。
割れた花瓶。枯れた花。取返しがつかないもの。
真っ暗な道を進んでいく。
ここは、地獄への一本道。
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