bottle,2

Lennie

 

 リックはまた枕を濡らして眠っていた。

 酒の代わりに睡眠薬を飲ませて眠らせた。フィルに頼んで二週間が経つが、一向に見つかる気配がない。そのせいで夜に泣く癖が悪化していた。

 で、リックが眠ってから俺は何をするかと言うと。

 家に女を上げることはせず、いつもホテルで済ませていた。家が汚れるのも他人の匂いが残るのもあまり好きじゃない。それに今はリックが家にいるから。

 俺は快感が欲しい、女は金が欲しい。だから金を払って愛を受け取る、便利な仕組みだ。それに俺を気に入って逆に金を払ってくる女もいる。節操が無いだとか、堅実じゃないだとか、だらしがないだとか。でも俺は気持ち良ければそれで良い。年齢も性別も問わない。本質は、変わらないから。

 今日もホテルに呼びつけて、わざと時間に少しだけ遅れて行った。……が、いたのは約束していた人物とは正反対の。

「……フィルとここで会いたくはなかったな」

 腕時計を睨む赤い目に思わず肩を竦め手をポケットへ突っ込んだ。

「オレだって好きでここにいるんじゃねえよ。お前を待ってたんだ」

「俺を? なぜ?」

 フィルはハンチング帽を目深に被り直すと、場所を変えよう、と小さく言った。話し難いことなのだろう。それならば、

「……ホテルへ入ろう。誰も隣の部屋の話なんか聞いちゃいないさ」

「別にそれは良いが……金はお前が出すんだな?」

「構わない。……あれ、女がここで待ってなかったか?」

 フィルは先にエントランスへ入りながら、ニヒルに笑うとリップ音を俺の背後へ飛ばす。振り返ると、フィルを愛おしげに見つめる女がいた。

「……横取りとは、狡いな。どう支払うつもりだ?」

「怒んなよ、ならこの情報はタダでやる」

 看板のネオンが点滅した。

 

 深夜二時、ホテルに男二人。期待してた分おあずけを食らった気分だったが、ソファに座ったフィルの一言に一瞬でそんな気は失せた。

「エリックの元恋人は死んでる」

「死んでるっていうのは、」

「詳しく言う。エリックの恋人は五年前に死んでいる。葬式も済んでるし、そこにエリックは参列してた」

「…………」

 絶句した。フィルは年季の入った茶色の手帳を閉じると、目を瞑った。

「あいつは恐らく、精神的な病気だ。恋人がまだ生きているという幻影に囚われている。死んだことが受け入れられてないんだ。重症だ、とオレは前に言ったな。冗談じゃなくなった」

「笑えないな……リックにはどう言う?」

「言えないだろ。でも言わなきゃいけない。伝えるのはオレよりお前の方が良さそうだが、辛いか?」

 フィルの声には優しさがあった。前髪を掻き上げる。

「いや……俺から言おう」

「オレが言うよりお前から言った方が信じそうだしな、頼んだ。それと……」

 フィルは手帳を再び開いてから、一息置いて、静かに言った。

「……エリック・ウェルシュという名前はどこにも無かった」

 

 

 ホテルにはフィルと宿泊代を置いて家に帰った。時間は午前四時。寝ているリックを起こさないように、と静かに扉を開けると、そこに土気色の顔したリックがうずくまっていた。胸を押さえて肩で息をしている。

「リック? おい、リック!」

「やめてくれ……大声を出さないで……頭に響くんだ」

 肩を抱いて顔をよく見る。

「また飲んだのか?」

「……いや、少ししか……」

 抱きかかえ、持ち上げようとしたが脱力した成人男性を寝室まで連れて行くには自分一人では足りなかった。リビングまで殆ど引き摺るようにして連れて行き、水を渡す。

「飲めるか?」

「胃液が上がって……」

「尚更飲むんだ。一口で良い」

「……ぅ、く……」

 飲み込み、胃に冷えた水が入ったことが刺激となったせいかリックはその場で吐いてしまった。しかし出てくるのは胃液と、酒。

「あ、くそ……駄目だったか」

「ぐ……、」

 ごほごほと咳き込んで、目の縁に涙を溜めながらリックは謝った。それはもう、縋るような謝罪。背中をさすってやるよりも先に吐瀉物を処理し、跳ね返って汚れてしまった服も脱がせてすぐに洗濯機へ押し込んだ。

「……リック」

「すまない……レニー、……ごめん、ごめん……」

「大丈夫だ、大丈夫だからもう謝るな」

 吐き気から来る涙なのかそうでないかは俺には分からない。頭を撫でてやると手を強く握られた。

「……さっき嫌な夢を見たんだ、あいつが……あいつが……死んでる、」

「………………」

 それは夢じゃない。

「葬式に行くんだ……そしたら、棺桶の中で、あいつが笑ってた……」

 思い出せ。

「俺を置いていくんだ、何で……何で先に……っ」

 言わなくてはいけない。友人として、他人として、人間として。目の前の囚われた人間を助けてやらなきゃいけない。

 それなのに俺は。

「……それは夢だ、大丈夫だから……」

「レニー……」 

「大丈夫、見つかるさ」

 リックを抱き寄せて、視界を奪った。ああ、なんて欠落した――。

 

 

 けたたましいベルの音に睡魔を飛ばされ、慌てて電話を取るとかけてきたのはフィルだった。

「よお。調子は?」

「一概に悪いとも言えないな。いや、最悪とも言える」

「何だそりゃ。で、言ったのか? あの事」

「……言えない、言えなかったさ。遂には誤魔化してしまった」

「意気地無しめ。だがまあ、気持ちはよく分かる。病院を勧めたりは?」

「しようとしたんだが、それも結局真実を突きつけることになるだろう」

「それもそうか。正直……現状維持が楽な道だとは思う。が、それがエリックにとって最善かどうかは、オレにもお前にも決められない」

「そういう時の為の病院なんだろうな。……一先ずは恋人探しに付き合うことにする。もし何かあればこっちからかけるよ」

 リックの様子を振り返ってみると寝息を立てている。ふと思いついて、じゃあなと言いかけたフィルを止めた。

「待て、これからこっちに来ないか?」

「ん。別に良いが何を企んでる?」

「リックは君に懐いてる。顔を見れば少しは気が晴れるんじゃないかと思って」

「オレの顔を見て? ……まあ、悪い気はしねえか。手土産持って昼頃に行く。それまで家にいろよ」

「分かった。じゃあ昼にまた」

 フィルの声はやはり優しかった。だから余計に、痛む。

 フィルにも言えないことができてしまった。俺が、リックを底の無い湖に沈めている原因になりつつあると。

「……俺らしくない」

 リックの傍に置いたライオンのぬいぐるみが泣いているように見えた。