bottle,5

Rick

 

 探し続けることは苦じゃなかった。もしかしたらただタイミングが悪くて、さっき出た店に入ったり、俺が探してる間寝ていて、俺が眠ると起きて外に出てくるのかもしれない。そういう、タイミングの問題なだけで。

 レニーが一緒に探してくれると言ったが、関係の無いレニーを連れ回すのはいい加減申し訳なく感じた。そんなのは気にしなくていいと本人は言う。でも歩くのがあまり好きじゃないことは、出会ってからのこの三年でよくよく理解しているつもりだ。

 ただ一人で出かけるのは不安が多かった。レニーと歩くときは、こちらが気付かない程度のさり気ない気遣いをくれるからか、あまり疲れることもなく探し回れる。自分一人だと知らぬうちに無理をするらしい。

 最近は体調はよくなっていたが、あまり無理をすると心配をかけてしまう。自分が無理をすることで心配をする人が一人くらいはいるのだということもよくよく理解した。

 朝、と言っても十時頃になることが多かったが、目が覚めて具合が悪いと感じるときにはレニーにそれを伝えることにした。探しに出かける日は減ったが、代わりに一度で探し回れる範囲は広がったような気がした。

 今日は起きたときから少し吐き気がしていたから、大事をとって外出は控えた。レニーが朝から身の回りを甲斐甲斐しく世話をしてくれる。まるで病人扱いだ。実際、具合は悪いが。

「レニー、ここに置いていた本見てないか?」

「ん? ああ、それなら棚に仕舞ったよ」

 読んでいたのはあいつが好きだと言っていた小説本。俺は本の虫じゃないから付き合っていたときは一文字だって読まなかったが、年を重ねて一人の時間が増えると読書は良い暇つぶしになった。

 棚から本を抜き取り、ソファに腰掛ける。レニーが淹れてくれたコーヒーは少しだけぬるくなっていて飲みやすい。

 そう言えば、他にも好きだと言ってた本があった気がするな――――。

 

 

「まだ、好きでいさせて」

「は? ……どういう意味だ?」

 問い詰めても、ただ困ったように笑うだけ。肩を掴もうとするのに、思うように身体が動かない。

「おい、待て、待って、……」

 次第に喉が詰まっていく。声が出なくなる。あいつはゆっくりと背を向けて、どんどん遠ざかる。

「嫌だ……嫌だ……、」

 ごぽ。音がして足元を見ると真っ黒な液体に足を呑まれた。悲鳴が出る間も与えられず、全身が呑まれたと思った瞬間、目の前に真っ白な棺桶が現れる。

 白い花に囲まれた棺桶。開けたくない。

 開けたくない、のに。身体が勝手に棺桶を開けた。そしてまた、心臓が凍る。

「……ッ!」

 あいつは動かないはずの口角を歪ませて笑みを形作った。

 

 

「……ック! リック!」

 夢を見た。また同じ夢を見た。あいつが死んでる夢を。棺桶の中で笑うあいつの夢を見た。

 眠っていないのに。

「リック!」

 レニーの声が鈍器になる。頭が激しく痛んだ。何だこれは?

「しっかりしろリック! 今、今病院を」

 カーペットに真っ黒な液体が染みていくのを、間近で見た。ああ、そうか、コーヒー零したから。

 勢いよく身体を起こされ、名前を叫ばれ、引いていく痛みに比例して意識も引いていった。

 ああ、心配をかけてしまう……

 

 

 不思議とベッドの中で夢を見ることは無かった。気がついたら消毒液の臭いが全身に纏わりついていて、視界が明瞭になると見覚えのないこのベッドのすぐ傍、俺の手を両手で包んで祈るように俯いたカフェオレ色の髪が見えた。

「…………レニー……?」

 声を出せたことに喜びが胸に滲んだ。名前を呼ぶと握られた手に力が加わり、ば、と顔が上がった。血の気の引いた顔。

「リック……! リック! 良かった、本当に良かった、目覚めないんじゃないかと、本当に、」

「ああ、レニー……静かに、少し響く」

 もしここが古い集団治療室であれば隣のベッドから舌打ちが聞こえたかもしれない。この個室には俺とレニーしかいないようだった。

 レニーは一層強く手を握り、眉を顰めて目を赤くした。見たことがないその表情に驚く。

「レニー……、泣かないでくれ」

「泣いて、なんかないさ、……」

 腕で顔を隠すと、次に顔を上げたときには普段の余裕を半分ほど取り返していた。

「……俺はどうしたんだ?」

「意識を失ったんだ、頭を押さえていたから脳に何か問題があるんじゃないかって救急車に乗せて……それが三日前のことだ」

「三日前だって? ……そんなに」

「それより、頭痛は引いた? 一応、薬は打ってもらっているが……」

「ああ、頭は痛くない。少し……覚えてないんだ。倒れる前何をしていた?」

 質問に、レニーは驚いた様子だった。何だかおかしなことを聞いただろうか、いいや。三日も寝ていたなら覚えていなくても当然だろう。

「……そうだね、本を読んでいた」

「本を?」

「俺の淹れたコーヒーを飲みながら。覚えてないのか?」

「薄ら、って感じだ」

 おかしい、なんだか、記憶が。

「あれ……レニー、俺、名前」

「エリック、エリック・ウェルシュだ。ほら、ここにも書いてある」

 見せられたのは治療費などの書かれた紙だった。そこにはたしかにエリックと書いてある。そうだ、エリック――。

「おい、エリック大丈夫か?」

 静かに入ってきたのはハンチング帽を被った男。

「…………」

「?」

 赤い目が首を傾げた。あの目……。瞬間、出会ってから今まで、その赤い目を見た瞬間が走馬灯のように目の前を駆けた。

「……フィル……」

 部屋の端にあった椅子を持ってきて、フィルはベッド側に座った。

「大丈夫かよ、目が虚ろだな」

「…………、」

 恐ろしくなった。今俺は友人を忘れかけていた。

「おいエリック? エリック」

「リックどうしたんだ、どこか痛むのか?」

「違う、違うんだ、俺は……今フィルのことが分からなかった。どうしよう、分からないんだ、怖い」

「フィル、医者呼んでこい! 早く!」

「言われなくても!」

 ばたばたと音が聞こえたあと、しばらくレニーが手をさすってくれた。自分の理解の及ばない部分で何かが起きている、その恐怖が少しだけ溶けていくような気がした。

 

 脳やその他身体には問題無し。……肝臓は少し注意された。でも他に悪いところは無いそうだ。

 原因不明の記憶混濁以外。

「リック、よく……聞いてほしい」

 医者がもう退院して良いと告げて行った後だ。フィルが急な仕事が入ったと帰ってしまい、個室にまた二人だけになる。

「……記憶混濁の原因のことだ」

「原因不明じゃなかったか? レニーは知ってるのか?」

「知ってるわけじゃない。もしかしたら、仮定の話だ」

 レニーは人差し指を立てた。

「……まず、記憶混濁や記憶喪失には原因がある。頭に問題がある場合と、心に問題がある場合と。リックの身体を検査したが、さっきも言っていた通り問題無し。じゃあ、残るは心だね?」

「……そうなるな」

 でも心に問題なんて抱えちゃいない。レニーは手を組んで、珍しい、弱った顔をした。

「これは本当に仮の話なんだが、」

 青い目が俺じゃなくベッドを捉える。

「――恋人が、原因になってると思うんだ」