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Rick

 

「確かに俺はあいつを愛していた、と思う」

 言い切れないのが最低なところだ。レニーの表情は苦し気なまま。

「付き合っていた当時は、確実に愛していたと言える。愛していたけど、同時に、軽く見ていた。自分の元を離れるはずがないと思っていた。付き合う、交際するというのはそういうことだ、と思って、お互いに離れていかないものなんだと錯覚して。だからあいつが寂しそうにしていたのも知っていたのに、何もしなかった。

 五年前、別れ話を切り出された時、驚いたことには驚いたが、それ以上の感情が湧かなかった。「別れよう」とも、「別れたくない」、とも言えないままあいつは去ってしまった。いつもと変わらない顔だったようにも思うし、いつもと全然違う顔だったようにも思う。記憶に残っているのはあの声だけで、あいつがどんな顔で俺の元から去ったのか思い出せない。

 別れた瞬間のことは覚えているけど、その後の記憶が曖昧だ。どうやって、何を思ってあいつを探し始めたのかだって覚えていない。何かの、使命感だったのかもしれない。俺はあいつに再会したら何を言うべきなのか、何をするべきなのか、それを全く考えることなく、あいつをただひたすら探し回っていた。だからこれは、愛情でもなんでもなくて、きっと愛への執着だ。

 あいつがいなくなったら、その後の人生を、どうやって生きていけば良いのかが分からなかった。それが怖かった。拠り所にしておきながら、あいつの拠り所でいてやらなかった。子供のような、独り善がりの心。だから俺が重荷になって、寄り掛かられる重さに耐え切れなくなってしまった。 夜になるとあいつの声が頭に響くから眠れなかった。罪の意識と後悔の混ざった感情が行き場を失くして涙になった。慰めてくれるレニーを、また俺は拠り所にしている。

 こうなったのも何もかも、酒のせいだと思って一度は止めようと思った。これ以上吐くのも泣くのも、忘れるのも怖いから。でも止められなかった。一日の終わり、胸の中に溜まった悲観する気持ちや、喉元の苦しさを流して誤魔化さないと眠れないから。酔い潰れることで強制的に一日を終わらせていたから。

 曖昧になってしまっているあいつの記憶に辛うじて残っている思い出の場所に、楽しかった記憶や会話なんて落ちていなくて、大抵は口喧嘩や無言で過ごした光景が思い出された。あいつが見つからないまま、あいつを傷つけた記憶だけが見つかっていくのが辛かった。

 ……俺が本当に記憶喪失で、あいつの最期の顔を見ていたのに覚えていないとすれば、きっと地獄でも後悔する。今の俺は記憶が無い状態を俺の記憶として見ている、だから正直に言ってあいつが死んだなんて、信じられないし信じたくない。でも、レニーが……レニーが真実だと言うなら、それも、事実なんだと思う。今、こうして、レニーを前にして話しているとそう思えるんだ」

 手が震えている。

「……罪悪感を昇華したいだけなんだきっと」

「恋人を探すことで?」

「そう。あいつのことを全て忘れてしまって、蔑ろにしてるわけじゃないと自分に言い聞かせられる。探していれば、あいつのことをまだ想っているように自分で錯覚できる」

 最低だ。この話をレニーにしていることだって、全て罪の昇華。

 鼻の奥が痛んだ時。玄関からブザーが鳴った。

「誰だ、こんな時に……」

 レニーが扉を開ける。そこにいたのは、赤い目の。

「エリック!」

「フィル? 仕事があったんじゃ……」

 大声で呼ばれて玄関へ行く。フィルは俺に何かの書かれた紙を渡した。

「探し者がそこにいる。ケリをつけてこい」

「あいつが? でも、レニーがあいつは死んだって」

「いいから。レニーと行ってこい、オレは酒屋で待ってるから」

 渡された紙を見ると、住所と地図が書いてある。レニーにそれを見せると、OK、と一言呟いた。

 

 

 レニーの車に乗って、俺とレニーはその場所へ向かう。住所を見ただけでレニーはどこに行くのか分かっているようだった。聞いても答えてくれないのは横顔を見れば分かる。エンジン音を聞きながら、レニーの吸う煙草の匂いを吸った。

 着いたところは、見覚えの無い霊園だった。

 ああ、そうなのか。

「…………」

 レニーは黙っている。

「……レニー」

「何だ、リック」

「ここで少し待っててくれないか」

「いいよ、車で待ってる」

「……ありがとう」

 霊園はかなり広かった。フィルに渡された紙には、住所のほかに番号が書いてあった。その番号の場所を見ると、昔何度も見て、何度も口にした名前。墓石にはR.I.P、「安らかに眠れ」と記されていた。

「……五年もかかった」

 霊園には誰もいない。

「ここに来るまでこんなにかかってしまった。今もまだ少し信じられない。本当に死んだなんて」

 墓石には花が置いてあった。フィルが置いてくれたものかもしれない。

「葬式で俺は君になんて言ったんだろう。何も言わなかったのかな」

 静かに目を瞑った。

「最低だ。俺はまた、もう何も言えない君にこうやって罪悪感を吐露している。勝手に終わらせたつもりになって進む」

 す、と息を吸う。

「もうここには来ないし探すことももう無い。許されたいとも思わないし、罪悪感も、後悔も、全部ここに置いていく」

 立ち上がって歩き始めた。

「もう償えないから、置いていくよ」

 あの時言えなかった、「さようなら」が言えた気がする。

 

 

 

「……済んだ? 早いな」

「センチメンタルにお別れの言葉をかけたわけじゃない。置いてきた」

「置いてきた?」

「俺が勝手に。置いて、終わらせたつもりにしてきた。でも良いんだそれで」

「――そう、なら良かった」

 車に乗る。レニーはエンジンをかけた。

「……俺はね、リック。フィルに調べた結果を伝えられたとき、本当にどうしたら良いか分からなかった。君を傷つけないように真実を伝えることはきっとできないから。だから俺は目隠しをした。君が本当の意味で傷つくよりは、体調の良い日だけ外へ出て恋人探しをして、夜には君を慰めて、体調が悪ければ二人で家にいてゆっくり過ごす。根本的な解決になってないことは勿論分かってる。でもその方がお互いに幸せだと思った。いや、俺が幸せなんだ、俺一人だけは」

「レニーがそれで幸せとは思えないな」

「いいや。分かってないよ、リックは。俺は深い傷を負うより浅い傷を何度も付けられる方が何倍も良い。リックを失いたくなかった」

「俺を?」

「――恋人は作らない主義の俺が、どうしていつまでも君と住んでると思う?」

 レニーの笑顔が、不意に刺した。

「…………」

「おい、黙らないでくれ。フられた気分になる」

「まだ何も言ってない」

 咳払いをして、収縮する胃を掌で撫でる。

「……腹、減ったな」

「リックが倒れてから食事が喉を通らなくて全然食べてないんだ。俺も腹が減ったよ」

「そういえばもう二時になる」

「そうだね、フィルが待ってるな」

「フィルのとこに行ったら、奢ってもらおう。レニーも飲むだろ?」

「ああ。いっぱい飲んで食ってフィルの財布を空にしよう」

「フィルが怒るぞ」

 再生のボタンを押して「Looking Back On Love」を流す。どこか色気ある声が、明るい車内を満たしていた。