成宮さんも調子がいいときは、僕と二人でデートのようなことをしたり、朝から散歩したんだと報告してくれたりした。僕のためにお弁当を作ってくれたこともあったし、頭のてっぺんからつま先まで全部、あんなふうに刺々しいわけじゃない。
素直に笑って、くだらないことを言って、そういう日を一日でも多く過ごしたい。ただ僕は成宮さんと穏やかに過ごしたいだけ。そうできるなら何だって手伝ってあげたい。ご飯だって用意するし髪だって毎日乾かしてあげる。朝も起こすし夜は寝かしつけてあげたい。
なんだってするつもりなのに、求められればそうするつもりなのに、成宮さんが手首を切ったり自殺を試みるのは変わらなかった。愛が足りないのかもとか接し方が悪いのかもとか、色々考えた。僕なりに努力したつもりだ。
成宮さんはもちろん精神科に通っていて、薬ももらっている。しかしどんどん悪化しているように見えた。
午前2時前、寝ていた僕を電話の呼び出し音が起こす。成宮さんだと思うと心臓が跳ねた。今度は何の用事だろうか。
一瞬無視して眠ってしまおうかとも思った。繰り返される呼び出し音に負け、応答する。
「はい……成宮さん?」
「こうた、……ぅ」
「え……なに、どうしたんですか?」
「こわい夢みた、怖い」
「夢……? どんなの……」
それきり泣きじゃくって話にならないので、僕は寝そうになりながらも落ち着くまで「大丈夫」「夢だよ」と言い続けて成宮さんが眠るのを待った。
仕事に行っても寝不足のせいかミスを連発し、会社にも居づらい空気を感じ始めていた。キャパシティを大きく超えているのは薄々気づいていたが、成宮さんと関わるのをやめたら、成宮さんがもしも死んじゃったら、僕は何のために動けばいいのかわからない。前は何か別のもののために動いていたはずなのに、今は音楽を聴く元気すら無くなっていた。
カフェインで無理やり動かす身体にもガタが来ている。
「先輩、なんか顔色悪いですよ」
「え?」
話しかけてきたのは後輩の女の子だった。手には栄養ドリンクを持っている。
「なんかお休みも連発してますよね。風邪とか?」
「いや、まあそんなとこ」
「はいどうぞ。先輩やさしいし、教え方上手だし、もっと色々指導してほしいので!」
「あ……ありがとう、こんな……ごめんね」
「謝らないでいいですって! ほら、午後もがんばりましょ!」
なんとか笑って返して、それからタイミングを見計らってトイレに逃げ込んだ。
自分がどうして泣いているのか分からない。それでも涙が止まらなくて、声を押し殺して泣き続けた。
◇
仕事が終わると成宮さんの世話をしなければならないので、残業してから帰ることが増えた。もちろんそれだけが理由ではない。休みがちだから仕事が溜まるのだ。
なんで僕ばっかりこんな気持ちにならないといけないんだろう。なんで僕が? そんなことを考えることが増えている。
今日も仕事が終わり、携帯を確認するとぞっとする量の着信が来ていた。
深呼吸して、電話をかけなおす。
「……もしもし、成宮さん?」
「あ、こうた? いっぱい電話かけちゃってごめんね。仕事終わる時間なのに繋がらないから心配になっちゃって……」
「ちょっと残業してて……どうしたんですか?」
「いいもの見せたいんだ、今から来て?」
「いいものって?」
「来てのお楽しみ! いいから来てね」
「ああ……はい」
いいものってなんだろう。ものすごく高い壺とか、パワーストーンとか、そういうものだったらどうしよう。
上機嫌なのには理由があるはず。一抹の不安を抱えつつ成宮さんの家に向かうと、既に玄関の外でしゃがんで待っていた。
「おかえり、こうた」
へら、と笑って僕の手を掴むと、家の中に招き入れる。
「えへへ……こうた喜ぶかなあ」
「僕が喜ぶようなもの?」
「んー分かんないけど」
手を引かれて部屋の奥に連れていかれる。心臓がバクバクと鼓動した。
少し汚いリビングの、中央に置かれたテーブル。その上にオリーブグリーンの美しい花瓶があり、中には一輪のダリアが挿されていた。
「……いいものって、これ?」
「うん、そう……花とか、飾ると良いって聞いたから」
買ってみたんだけど、と成宮さんは不安そうな声を出した。
拍子抜けして、本当に拍子抜けして、そして成宮さんのことを疑った自分のことがとても嫌になった。自分が情けなく汚く思えて、しかし変なものじゃなくてよかったと安堵して。
「……すごいよ、成宮さん……綺麗だね。素敵だと思う」
「ほ……ほんと? こうたも嬉しい?」
「ん、うん……本当に嬉しい」
「よかった……えへ、」
嬉しそうに笑う成宮さんの頭を撫でて、優しくキスをした。仕事で疲れ切った身体のままでも、ここへ来てよかったと思える。
「他にも花、飾るんですか?」
「うん、枯れちゃったら新しいの買おうかなって」
「いいですね、次は何がいいかな」
僕も買ってこよう、そしたら成宮さんも喜んでくれるはず。
蜘蛛の巣のように張り付いていた嫌な気持ちが、徐々に晴れていくのを感じる。また土砂降りの雨が降るとしても、こうして晴れ間が見られるのなら。
「それでねこうた、ちょっとだけ甘えてもいい……?」
「何、どんなことですか?」
「次のこうたの休みの日、ずっと家にいてほしい」
「次の休み……明後日?」
「うん、家にいていちゃいちゃしたいの」
「……いいよ、泊まれるようにしておくね」
僕の言葉に成宮さんは心の底から嬉しそうな顔をした。愛おしくてたまらなくなって、頬を撫でてキスをする。
久しぶりに休日を楽しみに感じている自分がいた。
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