Data,7

 

 人の気配が無くなった雑務室で、乱雑に書類を置いたテーブルに腰をついて息を吐き出した。逃げるようにエレベーターへ乗り込むカナレスを眺めながら、髪を掻きあげてネクタイを緩める。

 最大のチャンスを逃したかもしれない。だがしっかりと爪痕は残せただろうと口角を上げた。俺の言葉に動揺する瞳を思い出しては笑いが込み上げてくる。

 研究助手面接に応募してくる人間は国内外から多岐に渡る。しかしどれもこれも使えない人間ばかりで、小間使いにそうした者を取っていた時期もあったがどうも合わなかった。魔力が高い人間がそもそも稀有で、その上で頭が良く俺の邪魔をしない「できた人間」。そんな人間は今まで何十人何百人と見てきた中でいなかった。

 それがどうだろうか? ライネリオ・カナレス――完璧だった。「知の塔」に入ってきた段階から目を付けていたが、まさか、本当に、あれほどまでに理想的な被検体はいない。言うなら俺の生き写しのようだった。魔力の高さはもちろん不足無いが、成績優秀で気遣いもできて、更には結晶現象学を進みたいと言う。他の学科ならまだしも、まさか結晶現象学だとは。都合が良すぎる、現実ではないかのようだ。

 先程面接を済ませた学生の履歴書を手に取って、パラパラと捲ってテーブルへ投げるように戻した。黒い革張りのチェアに腰掛けてコンピュータのスリープを解除し、共有回廊の監視カメラを開く。そこに映っているものを見て、俺は驚嘆し目を見開いた。

「……!」

 大慌てで実験室のドアを叩くカナレスの姿。大声をあげて笑いそうになるのを抑えて唇をなぞる。

 監視カメラを研究室にも取り付けようと提案した俺の意見を蹴った学者は多かった。それは監視されることへの不信感、そしてセキュリティの観点で監視カメラを設置することで寧ろハッキングされた時の被害が甚大だからだと言う。

 実際、こうして俺のように権限を持つ者がいつどの場所の映像を見るか分かったものではないから、そう思えば確かにその意見は正しかったのだろう。非常に歯痒いことだが。

 反対意見を出した学者の中でも、サリーニは特に難色を示した。彼は尽く俺の道を涼しい顔で塞いでいく。

 サリーニが他人を避けて関わろうとせず頑固に助手を取らない姿勢からも何か隠していることは明らかだった。「知の塔」最年少の座を何食わぬ表情で奪っておきながら俺にろくな挨拶をすることもなく、図々しくも研究室をコンクリートで覆いライフラインまで整備させ、研究室から出てこない限り彼の生死すら皆分からない。当然、彼が何を研究していたって、俺を含め上の連中も分からないのだ。

 それが研究助手を募集すると言うのだから何があったのかと思えば、やはり変わらない。助手を取ったは良いものの有効活用できずに小間使い止まりだ。それなのに手放すのは惜しいらしい。カナレスでなければならない理由は分からないが、それは俺にとってはさして重要ではなかった。

 魔力工学において後続の人間の育成は必須だ。残された時間は少ない。一日でも早く、優秀な人間を後続として育てなければならない。結晶現象学がこの先廃れようと何をしようと俺には関係無いし知る由も無い。

 俺は俺のやるべきことをするだけ。魔力工学をもってして世界の常識を覆す、それだけが俺の「やるべきこと」。

「……っ、」

 今日は朝から目眩が強い。背もたれに体重を預けて息をつく。目を瞑ると、何者かに脳を掻き混ぜられているような感覚が襲った。

 ――こうして助手を探して右往左往していられるのも今の内だ。寝てなどいられない。何としてでもカナレスを助手として引き抜かなければ、俺の研究は進展しない。

 だから、サリーニの隠している何かを暴いてカナレスを失望させる必要がある。結晶現象学に関係することなのか、それとも全く別か……。研究室をコンクリートで加工させるだけあってセキュリティはネズミやアリすらも入らせない徹底ぶりだ。

 しかしあの男は必ずミスを犯すだろう。人と関わるのが嫌いなように見せているが、それはただの仮面に過ぎない。俺が笑顔の仮面で踊るように、サリーニは鉄で顔を覆ったまま、ろくに息も吸えずに踊っている。――いや、踊らされているのだ。それが俺には滑稽に見えて仕方が無い。

 サリーニがミスを犯しカナレスの失望を買い弱ったところを全力で叩く。その為にも確実に堅実に着実に、土台を作らなければ。

 引き出しから目眩を抑える薬を探して水で流し込むと同時に、見計らったようにコール音が鳴り響いた。端末を取り出して、かけてきた相手が大学院の教授であると分かると思わず表情筋が脱力する。やむを得ず着信に応答した。

「……ああ、インベスティガシオン魔力工学研究所のアルコルネ・ロケだ。……面接なら先程終了したよ。不採用で書類を今から発送するところだが……いや? 面接中の受け答えも態度も不遜なかった。土産のチョコレートも有難く受け取ったよ」

 有名店のチョコレートだったが味は平均かそれ以下だった。監視カメラを眺めながら口を動かす。

「……そうだな、他に面接を申し出ている学生の件だが、募集を今日限りで打ち切りとさせていただきたい。……ああ、そうだ。……担当の者と募集について協力していただいた方々には後日改めてこちらから挨拶に……いや、気遣いは有難いがお構いなく。ああ、これからもどうぞ宜しく。では」

 切って端末をポケットに押し込んだ。頭の悪い人間と話すのは疲れる。

 立ち上がって、ふらつく足を叩いて研究室へ入った。

「……さて、と」

 まだ日は高い。書き散らしたメモとデータ、資料で埋め尽くされたテーブルを前にして腰に手をついた。

 

 

 

 ピピ、ピピ、ピピ、と短く繰り返される機械音で我に返る。時折時間が止まったように感じることがあった。例えば、今。

 研究室に入ってから十三時間が経とうとしていた。知らぬ内に食事の時間もとっくに過ぎて、空腹か睡眠不足か、あるいはそのどちらもが原因で目眩が再発していた。何か口にしようとは思うが、眠気がそれを嫌がる。

 睡眠時間は無駄だ。眠らなくても活動できるようにするシステムを誰かが発明したのなら、俺は泣いて喜んで頭を下げるだろう。そんなことが無理なのは分かっているが。

 端末には通知が何件か溜まっており、ざっと目を通して削除した。助手希望が絶えないのは悪いことじゃないが殺到すればただ面倒になった。俺の出した高待遇に、自身のポテンシャルも弁えずに群がる人間ばかり。

「使えない奴ばかりだな……」

 募集は取りやめるよう言ったつもりだったが、それは俺の勘違いだったのだろうか。もう一度あの阿呆と会話すると思うと気が落ちる。

「!」

 手の中で端末が震える。「食事」と表示されたリマインドを、消しながら俺は研究室を出た。

 

 歩く俺の三メートルほど後ろから声が聞こえる。「ロケ博士は眠らないのか」? 馬鹿だな、俺だって仮眠くらいは取る。

 共有回廊を歩く度にこれだ。こんな朝とも夜ともつかない時間でも、知の塔ではちらほらと人の影。俺のことをよく知りもしない人間の言うことなど何の意味も持たない。痛くも痒くも無いが、やはり考えることはあった。

 不老不死も永遠も存在しない。人間に等しく与えられた限りある時間を如何にして有効に使うか、平凡な人間と優秀な人間とを大きく分けるのだ。

 俺は後者だ。そうでなければインベスティガシオンの管理も学者も務まったものではない。

 静かな「知の塔」に俺の靴音が響く。外では空の青が薄くなっていた。

 食堂に辿り着いて、無人のカウンターでミートパイとコーヒーを受け取る。テーブルに腰掛けて、あの不機嫌な顔を思い出した。彼らと会話をしたのは、もう既に昨日の出来事か。

 俺が話しかける度に顔を歪めて嫌悪を顕にするのが可笑しくて堪らない。それほどまでに俺が気に食わないのなら食堂になんて来なければ良かったのに。そういうところからもサリーニの人嫌いがただの建前だということが分かる。結局は情に流されているのだ。冷徹になりきれていない甘さが綻びを生む。

 カナレスが俺の言ったことをサリーニに全て言ったのなら、仮に無実だとしてありもしない罪を疑われカナレスへの信用は無に帰すだろうし、俺の見立て通り罪を犯していれば警戒を強め上手く行けば俺の元へカナレスを寄越すかもしれない。どう転んだとて俺の利益は確定している。

 一人前の小さなミートパイを食べきるのにそう時間はかからなかった。カップを煽りコーヒーを飲み干して口を拭い席を立つ。食欲が満たされれば余計に眠気が襲うが、二十六階を目指してエレベーターへ乗り込んだ。

 仮眠室に着いたら三時間だけ睡眠を取ろう。その後は雑務が待っている。タスクを整理し書類も提出し、ああそれと、大学院への連絡。

 通り過ぎていく二十三階の共有回廊に件の二人を見つけた。俺に気が付いただろうか? しかし今更引き返す気力も残っていない。そのまま二十六階へ到着し、ポーン、と音が響いた。

 仮眠室に入り、鍵を掛けてブラインドを下げる。流石に身体が重いな……。と、白衣に手をかけた時だった。

「っぐ、……!」

 愕然と視界が揺れた。吐き気すら伴う強い目眩。咄嗟に近くのテーブルに手をついて身体を支えるが、しかし依然として視界の揺れは治まらなかった。駄目押しのように身体が熱くなり、重力に逆らえず地に伏せていく。

「……っ」

 疲労が限界に達したらしい。この症状はよく経験することだった。だから特段焦ることも無い。ポケットから取り出した目眩止めを水も無しに口に含んで無理やり飲み込む。

「……、」

 ネクタイを引き千切るように取り去って、安定しない視界の中でシャツのボタンを開け放った。大きく開いたシャツの内側、俺の身体に這っているのは真っ黒な蛇。右胸を過ぎ、今にも心臓に喰らいつかんと口を開けている。

「まだ、……」

 まだ身体を渡すわけにはいかない。熱した鉄のように高温になった指輪ごと、拳を握り込んで簡易ベッドへ身を沈める。

 噂のままに、俺が永遠に生きられたのなら。

 そんな非科学的な夢物語を思い浮かべながら、俺は眠りに落ちていった。

 あと、どれくらい生きられるだろうか。

2020年3月